高級賃貸物件の設備コラムシリーズ。第三弾は、現代の神具「宅配ボックス」について考えてみよう。
その名の通り、不在時でも宅配便を受け取れるロッカー型の設備だ。本来、宅配便とは「手から手へ」という人間的な温かみを前提としたシステムである。しかし、24時間戦う企業戦士や、共働きのパワーカップルにとって、ドライバーが訪れる時間帯に自宅待機することなど、ツチノコを発見するより難しいミッションといえよう。
そこで登場するのがこの鉄の箱だ。業者はここに荷物を預け、暗証番号やカードキーを残して去る。我々は深夜、疲弊した体を引きずって帰宅し、誰とも顔を合わせることなく、Amazonのロゴが入った段ボールを回収する。それは実に効率的で、合理的で、冷徹なまでに完璧なシステムなのだ。
もっとも、このシステムが普及した背景には、効率化だけでなく「対人恐怖」という現代病が潜んでいるのかもしれない。
「インターホンが鳴ると居留守を使う」「配達員と顔を合わせるのが怖い」。そんな若者が増えているという。もしかすると将来、人類は直接会話することを完全に放棄し、すべてのコミュニケーションをボックス経由で行うようになるのではないか。愛の告白も、別れの手紙も、宅配ボックスのロッカー番号一つで済ませる時代が来る。
……というのは、いささか考えすぎだろうか。
ここで少し、国民的アニメ『ドラえもん』について考えてみたい。
かつてトヨタのCMで実写化された際、妻夫木聡演じる30歳ののび太は、何度「どこでもドア」を使っても、しずかちゃんのいる源家のバスルームへたどり着けないという描写があった。
本来、どこでもドアは「行きたい場所」へ物理的に移動する道具だ。しかし、あのCMが示唆していたのは、道具がどれだけ進化しても、人の心が通じ合っていなければ、本当に会いたい人の元へは行けないという真理ではないだろうか。
しずかちゃんは、いつまで経ってもお風呂に入り続け、のび太が来るのを待っている。彼女は永遠に「のび太さんのエッチ!」と言いたいのだ。しかし、のび太は利便性に甘え、道具に頼り、彼女の「待つ心」の本質に気づけない。
宅配ボックスも同じだ。それは確かに便利な「どこでもドア」の一種かもしれない。しかし、荷物を送ってくれた人の想いや、それを運んでくれたドライバーの汗を感じ取れなくなってしまったら、それはただの物質移動に過ぎない。
道具に使われるな。道具を使いこなし、その先にある人の温もりを想像しろ。それができて初めて、男はしずかちゃんという名の幸福にたどり着けるのだ。
宅配ボックスが設置されている高級賃貸物件に住むこと、それは男が己の人間力を試される場なのだ。