高級賃貸物件という言葉の響きには、ある種の魔力が宿っている。コンシェルジュサービス、ラウンジ、そして今回のテーマである「フィットネスルーム」。特にマンション内に専用のジムがあるという事実は、多忙を極める現代のビジネスマンにとって、移動時間というコストをゼロにし、己の肉体をメンテナンスできる最強のソリューションであるといえよう。
わざわざ会費を払って街のスポーツジムに通う必要はない。エレベーターで降りれば、そこには最新のマシンが待っている。
しかし、一般的なジムを見渡してほしい。そこは純粋なトレーニングの場というより、最新のウェアを見せびらかすファッションショー会場であり、あるいは鏡の前で自撮りに勤しむナルシストたちの社交場と化していないだろうか。他人の視線を気にしながら、順番待ちのマシンで汗を流す。そんな環境で、本当に自分自身と向き合うことができるのか。
……というのは、いささか考えすぎだろうか。
ここで少しアカデミックな話をしよう。フランスの社会学者エミール・デュルケームによれば、世界は「聖」と「俗」の二つに分類されるという。
これを日本の民俗学的な「ハレ(非日常)」と「ケ(日常)」に置き換えて考えてみるとわかりやすい。例えば、電車内でメイクをする女性を見て不快感を抱くのは、本来「ケ(裏側)」で行うべき準備プロセスを、「ハレ(表舞台)」に持ち込んでいるからだ。
男の肉体改造も同じだ。歯を食いしばり、汗にまみれてバーベルを上げる姿は、あくまで「俗」なる行為であり、他人に見せるべきものではない。
思い出してほしい。鳥山明の名作『ドラゴンボール』において、サイヤ人たちは強敵が現れるたびに修行を行うが、その場所は外界と隔絶された「精神と時の部屋」だった。
悟空やベジータは、真っ白な無の空間で孤独に己を追い込み、扉を開けて出てきた時には、圧倒的な戦闘力を持つ「超サイヤ人」へと変貌を遂げている。彼らは修行中の苦悶の表情など、敵であるセルやフリーザには決して見せない。ただ、圧倒的な結果(パワー)だけを突きつけるのだ。
マンション内のフィットネスルームこそ、現代における「精神と時の部屋」である。
誰の目も気にせず、孤独に鉄の塊と格闘する。そして一歩外に出れば、涼しい顔でスーツを着こなす。ただし、「俗」の領域を共有する家族(妻や子供)にだけは、その汗だくの背中を見せてもいいだろう。父が陰で流した汗の量だけ、家族を守る力は強くなるのだから。
フィットネスルーム付きマンション、それは男にとっての「精神と時の部屋」である。