ラウンジ、それは単なる「共用施設」という言葉で片付けるにはあまりに惜しい。自宅というプライベートな城郭と、過酷なビジネスフィールドという戦場。その中間に位置する、極めて戦略的な緩衝地帯(バッファーゾーン)といえよう。
そこは、泥だらけの靴を脱ぎ、戦士が鎧を解くための減圧室のようなものだ。来客を自室という「聖域」に招き入れることなく、洗練された空間でもてなすことができる。あるいは、誰にも邪魔されず、しかし適度な他者の気配というノイズを感じながら、孤独なタスクを処理する。この空間がもたらすのは、都市生活において最も重要かつ困難な「距離感」の最適化だ。エントランスの厳重なセキュリティを突破した先に広がるこのラグジュアリーな空間は、住まう男のステータスを無言のうちに語り、同時に外部からの不躾な侵入を優雅に拒む、見えざる防壁としても機能するのだ。
だが、冷徹な視点で見れば、ラウンジとは「見栄の張り合い」が行われるコロシアムに過ぎないのかもしれない。
磨き上げられたフロアーの上で、最新のマックブックを開き、眉間に深い皺を寄せて仕事をするふりをする男たち。その実、画面に映っているのはビジネスチャットではなく、SNSのタイムラインや週末のキャンプ場の予約サイトだったりする。あるいは、部屋の中が洗濯物の山で埋め尽くされているという「生活の恥部」を隠蔽するために、あえてこの場所で恋人と待ち合わせる――そんな涙ぐましい工作が行われる舞台でもある。
ふかふかのソファに深々と腰掛け、無料のコーヒーをまるでヴィンテージのスコッチのように啜る姿は滑稽ですらある。ガラス張りの洗練された空間は、一歩間違えれば、孤独な現代人が自らのリア充ぶりを必死に演出するためのショーケースと化す。隣の席で繰り広げられる「意識の高い」会話も、実は中身のないマウンティング合戦に過ぎない……などという妄想はさておき。
ここで想起されるのは、1988年に発売され社会現象となったRPGの金字塔『ドラゴンクエストIII』に登場する「ルイーダの酒場」である。
伝説への旅立ちを前に、勇者(プレイヤー)はこの場所で仲間を選定した。屈強な戦士か、賢明な僧侶か、あるいは一発逆転を狙う遊び人か。出会いと別れが交錯するあの酒場の喧騒は、まさに現代のラウンジそのものではないか。ビジネスパートナーとの商談、あるいは新たな異性との顔合わせ。この空間で相手の「ステータス」や「職業(スキル)」を冷静に見極め、自らのパーティ(人生)に加えるべき人物かどうかをジャッジする。
もし相手が魔王バラモスのような厄介な案件を持ち込む者、あるいはレベル差がありすぎて足手まといになる者なら、ここで別れを告げればいいだけのこと。ラウンジとは、決してセーブデータ(プライベート)を上書きされることのない、安全かつ冷徹なスカウトの場なのである。「冒険の書」に記録される前の、テストプレイのような時間がそこには流れている。
ラウンジのある生活、それは男が人生という冒険のパーティ編成を試される場なのだ。