「敷地内ゴミ置き場」:心配からの解放

敷地内ゴミ置き場。それは単なる廃棄物の集積所ではない。都市生活における「過去との決別」をシステム化した、極めて合理的なタイムマシンといえよう。

一般的な市民生活において、ゴミ捨てとは「火曜日の朝8時」といった厳格な時間の鎖に縛られた行為だ。しかし、24時間ゴミ出し可能なこの設備は、その呪縛を無効化する。昨日の晩酌の残骸も、衝動買いしてしまった恥ずかしい通販の空箱も、自分のタイミングで即座に視界から消し去ることができるのだ。この利便性は、多忙を極めるビジネスマンにとって、単なる時間の効率化以上の意味を持つ。部屋にゴミを滞留させないことは、思考の澱(おり)を溜めないことと同義であり、常にクリアな空間と精神を保つための必須のインフラストラクチャーなのだ。

しかし、少し穿った見方をすれば、これは現代人が自身の痕跡を消すための「完全犯罪システム」とも呼べるのではないか。

深夜2時、誰にも見られずにゴミを捨てる男の背中には、哀愁と共にどこか後ろめたい空気が漂う。別れた女との思い出の品、三日坊主で終わった筋トレ器具、あるいは飲み会で盛り上がって持ち帰ってしまったカラーコーン(なぜそんなものが部屋にあるのかは謎だが)。それらを黒いビニール袋に詰め込み、誰の目にも触れさせずに処理する。それはまるで、自らの人生における「黒歴史」を闇に葬る儀式のようだ。

もしこのシステムがなければ、男たちは次の収集日まで部屋の片隅に鎮座する「失敗の象徴」と向き合い続けなければならない。積み上がる過去の亡霊に、精神を押し潰されてしまう……といった事態を避けるためにも。

ここでふと脳裏をよぎるのは、スタジオジブリの名作『千と千尋の神隠し』に登場する「釜爺(かまじい)」である。

彼は油屋という巨大な組織の最下層にあるボイラー室で、無限に薬湯を沸かし続けるため、手にした薬草や石炭を次々と炉にくべていた。あの炉こそが、現代における敷地内ゴミ置き場のメタファーではないだろうか。千尋が迷い込んだ世界で生き抜くために名前を奪われたように、男たちもまた、社会という巨大な湯屋で生き抜くために、不要になった自我やプライド、そして生活の垢をゴミ袋に詰め、焼却炉へと送り込んでいるのだ。

あの重厚な扉の向こうには、実はススワタリたちが待機していて、俺たちが捨てた「どうしようもない過去」をせっせと運び去ってくれているのかもしれない。そう考えると、あの無機質な鉄の扉も、どこか愛おしく見えてくる。我々は単にゴミを捨てているのではない。明日を生きるためのエネルギー(蒸気)を生み出すために、過去を燃料として捧げているのだ。

敷地内ゴミ置き場、それは男の終わらない禊(みそぎ)である。

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