「インターホン」を使う現代男子の防衛術

言葉というのは、時に迷宮のように複雑怪奇な様相を呈する。例えば、高級賃貸物件の設備において「TVインターホン」という名称がある。これを検索しようとすると、「TVドアホン」だったり「モニター付きインターホン」だったりと、呼び名が定まらない。さらに言えば、スマートフォンのフリック入力で「ドアホン」と打とうとすると、予測変換で「ド阿呆」と出てきたりする。現代のAIは、高度な学習機能の果てに、関西芸人の魂まで実装してしまったらしい。

……などというちょっとした笑い話はさておき。今回のテーマは「ド阿呆」……ではなく「インターホン」だ。

これまで繰り返し述べているように、高級賃貸物件を選ぶ最大のメリットは「安全」を買うことにある。以前紹介した「オートロック」とセットで必ず必要になってくるのが、この「TVモニター付きインターホン」といえよう。
部屋の中にいながらにして、城門(エントランス)に立つ訪問者の顔と声を確認できる。これほど強力な防衛システムはない。相手が宅配業者なのか、宗教の勧誘なのか、あるいは別れ話をしに来た恋人なのか。その姿を鮮明なカラー液晶で確認し、受話器を取らずに居留守を決め込む。これぞ、現代社会における「賢者の選択」なのだ。

もっとも、画面越しに相手を値踏みし、都合が悪ければ無視をする。そんな冷徹な選別行為を繰り返しているうちに、我々は人間としての温かみを失い、いつしか誰からも訪問されなくなってしまう孤独な王様になってしまうのではないか。
……というのは、いささか考えすぎだろうか。

ここで、日本人のDNAに刻まれた年末の風物詩『忠臣蔵』について考えてみたい。
赤穂浪士が主君・浅野内匠頭の無念を晴らすべく、吉良上野介の屋敷へ討ち入りを敢行するあのクライマックスだ。彼らは雪の中、吉良邸の門を突破し、最後に炭小屋(物置)に隠れていた老人を見つけ出す。
しかし、ここで重要な問題が発生する。「こいつは本当に吉良上野介なのか?」という本人確認(認証)のプロセスだ。当時の赤穂浪士たちは身分の低い武士が多く、高家筆頭である吉良の顔など知る由もない。

そこで彼らは額の傷を確認し、本人だと特定するわけだが、もし吉良邸に最新のTVインターホンがあったらどうなっていただろうか。
吉良は寝室のモニターで四十七士の殺気立った顔を確認し、即座にセコム的な警備隊を呼ぶか、あるいは裏口から悠々とエスケープしていたに違いない。そうなれば、日本人の好きな「仇討ちの美学」は成立せず、歴史は大きく変わっていたはずだ。
ちなみに、戦後のGHQが仇討ち精神を恐れて『忠臣蔵』の上演を禁止したというのは有名な話だが、現代のインターホンは、GHQ以上に効果的に「不都合な訪問者」をブロックする力を持っている。

吉良上野介を演じた名優・森繁久彌が住んだ世田谷区船橋の高級住宅街「森繁通り」には、今も静寂が流れている。彼らは知っているのだ。本当の平和とは、モニター越しに安全を確認した後にしか訪れないことを。

インターホンによって相手を確認する、それは現代ニッポン男子の生き様といえよう。

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